学び舎づくりの会の活動方針

「場づくり」へ
ハードとソフトの垣根を 越えて
永田佳之

 ボリビアでは街中でも標高4千メートルの高地でも教会を見かける。 たまに立ち寄り中へ入ると感じるのは、天井へと引かれるような垂直の力である。教会の尖塔がとんがっているせいか、十字架が天上を指しているせいか、磔刑 のキリスト像が目線より上にあるせいか、垂直の力が強く働いている空間である。
こうした空間とはまったく異質だが、同じくキャンドルがあり、歌声 が響き、笑顔の絶えない清らかな場に、ボリビアで出合ったことがある。そこは、垂直の力は感じないが、水平のつながりを感じさせる不思議な空間であった。
 6年ほど前になるだろうか、コチャバンバ市校外のフィールドで教育 調査をしていたときのことである。ある婦人グループが村の小部屋で識字教室を開いていた。「ここは皆さんにとってどんな場なのですか?」と、ありきたりの 質問をしてみたところ、30代の女性が突然に泪しながら語り出した。要約すれば、彼女は長年、夫から虐待され、死んだ方がましなほどの扱いを受けてきた。 しかし、地元のNGOによって識字教室が営まれるようになり、教室に行くたびにクラスメイトに励まされ、力づけられたという。識字教室は彼女にとって守ら れる場であり、暴力から逃れる場であり、ホッと一息つける場であった。彼女だけではない。そこに参加していた一人ひとりの婦人にとって、識字教室とは単に 字の読み書きを覚えるための空間ではなく、特別な意味を持つ場であったのだ。特別な場であるからであろう。彼女たちは8畳ほどの空間に手作りの造花などを 飾り、心地よい居場所にしていた。
 この識字教室と出合ったとき、貧困層の人々が暮らすアンデス高地や 近代化の弊害に曝されやすい都市近郊の村々に、水平のつながりを感じられるような場、人々が手と手をつなぎ合えるような場がもっとあればよいと思った。も ちろん教会にも人と人とのつながりがあり、励まし合いもある。しかし、識字教室には、社会の低層におかれた人々がみずから育む空間で、心置きなくつながる ことのできる柔らかな空気がある。ハード(建物)とかソフト(教室運営や学習内容)とかの言葉では割り切れない「場」の魅力がそこにあるのだ。 
 〈学び舎〉づくりの国際協力とは、建設のプロとしてハード面で支援を することか、建物を有効に使ってもらうためにソフト面での支援も含むのか。そんな議論を重ねて8年になるが、〈学び舎〉を4棟造り、「ふり返り」の作業を 経て出てきた言葉が「場づくり」の支援であった。場をつくるのは人であるが、一時的な救済も含めて人をつくるのも場なのかもしれない。本当の〈学び舎〉づ くりとは、ソフトもハードも内に包んだ、当事者にとってかけがえのない「場づくり」なのであろう――このような想いを今わたしたちは共有している。(2006年)