2002年12月8日日曜日

コチ・ヴァケーリア村までの道    落合裕梨

 2002年10月19日正午私は成田空港にいた。会の一員としてボリビアに第3棟目学び舎の建設候補地の調査に向かうためだ。ボリビアって地球のどこにあるのかな?とこの会に入る前に思っていたほどだったから、今回の調査対象地域のことはウカマウ集団の映画に出てくるイメージ以外ほとんど知らない。でも会の皆さんから色々と説明や話を聞き何回もシミュレーションをしているから準備だけは万端だ。もちろん単に欲しい、では作りましょうというような会でもないし、人と人とのつながり、そこで生まれる信頼関係があってはじめてできることなんだ、とのご指導も頂戴している。私もそう考えているので、心の準備も万端だと特記しておこう。


 代表の永田さん、去年に続き現地に駐在する高橋さんとコチャバンバで落ち合った。街の市場でこれから始まる調査に備え食料を買いこみ、定員オーバー(?)のジープの荷台に乗った。明らかに車内の窮屈なシート席よりもくつろげるし、荷物がソファの役目をするから快適だと見込んだからだ。後ろにはガソリンが満タンのドラム缶、隣にはこれから行く地域で識字教育の先生達の指導係をしているアルメンゾ・グズエデスさんが肩を寄せている。このアルメンゾさんの名前は何度教えてもらってもちゃんと覚えることができなかった。まだ若いと思っているのに自信喪失。スペイン語がまったくできない私との会話はいつしかスペイン語と日本語のチャンポン会話となり、最後は笑顔だけの会話で、気が付けば互いに昼寝。
 目をさますたびに刻々と変わっていく風景を、これから出会う人々、土地に思いをはせながらジープの荷台からただただ眺めていた。風景の移り変わる様は実に不思議だ。コチャバンバの街の中心にはビルが建ち、物が、人が溢れている。ヨーロッパのどこかの都市にいるようだ。車を20分も走らせれば、次のシーンへ移る。郊外の住宅地には2階建ての家が道沿いに並び、商店があり、街路樹がある。
 日差しのズボンをつき抜けるほどの熱さで目覚めていたのが、気が付けば寒さに身震いして目がさめる。そんなようになったころには、アドベ(日干しレンガ)壁の平屋建ての家が目立つようになっていた。そして色彩から緑が徐々に消えていく。緑のない風景の土地を日本で見つける事は難しい。しかしここの大地は驚くほど様々な表情を見せる。茶色、赤茶色、紫、黄土色、苔色。まるで虹のトンネルをくぐっているみたいだ。
 寒さはさらに増し、とてもじゃないが眠れなくなった。「コチャバンバは標高2800Mだけど、いったいこの寒さは標高何Mなのだろう。」聞いてみても、みんな違う答えが返ってくる。それほどの標高だ!
 昼食の頃には、雹が降った。ついに私は荷台からギブアップし同行している大工のサンティアゴと交代してもらった。彼は2棟目の学び舎建設に高橋さんとともに中心になって携わったケチュア出身の人で、ケチュア語とスペイン語が話せ、通訳として大活躍してくれた。

 ジープにゆられ約3時間、コチャバンバの街から続いていたアスファルトの国道をそれ、ついにコチ・ヴァケリーヤ村のあるヴェンティージャという地域に続く土と石と川の道が始まった。しかし、その道のわかれる所には特に看板はない。次に来てもわからないだろう。
 途中、水のほとんど流れていない川を走る。この川は、雨が降ればすぐに水かさが増し、車は通れなくなるらしい。道らしきものがないときもしばしば。道を阻む落石がある場合は、皆で力を合わせて移動させる。移動できなかったらそこで諦めるしかないのだろう。
 家畜の群れに遭遇する。その土地の人に初めて出会った!その男の人は民族衣装を身に纏っている。土色の大地をバックに実に派手なピンク色の上着を着て、クリーム色の帽子をかぶっていた。思わずおしゃれ!!と思ってしまった。家畜の面倒をみる犬は車を見つけると、ありったけ吠えながら、はねられる事を恐れずにどこまでも追いかけてきた。たまに前を走ったりするので、運転手は犬と駆け引きをしながら走らなければいけない。(運転手は、今までに2度犬を轢いたと言っていた。)
 「これこれ犬くんよお仕事に戻りなさい?」でも考えてみれば私達のほうが彼にとっては見知らぬ者だから家畜を守るために働いているのだ。
 
 時々集落を目にするが、家々が周りの色と同じなので、すぐには分からない。土でつくった壁に草葺だからだ。村によってはトタン屋根の住居もあり、強い日差しを反射していた。
 支道に入って30分ほどでヴェンティージャ地区のヴェンティージャ村に到着した。ヴェンティージャ村は、この地域の中心的な役割を持つ村で小学校や診療所、教会、商店などがある。コチ・バケリーヤ村という今回私たちが3棟目を建てることになった村へはここからさらに車で30分はかかるそうだ。ヴェンティージャ村の小学校一室を借りてこの3日間でまわる村を確認してから、コチ・バケリーヤ村に向かう。
 途中、小学校が終わった生徒たちとすれちがった。これは集団下校というものだろうか。みんなが制服らしき真赤なセーターにブルーのスカート、ズボンを着て群れをなしている。蛇行する道など無視し、一直線に村を目指している。私たちの車を見て、興味津々、ひそかに騒ぎ?ながら走り、私たちよりも前へ行こうとしている。
 そしてついに、というかようやくコチバケリーヤ村に到着したのだった。午後の時間で働いている人影が少なかったが、次第に人が集まってきて、男の人は笑顔で迎えてくれたが、女の人には少々身構えられてしまった。子供たちは、お母さんの後ろで興味深く、しかしちょっと怖がる様子で私たちを出迎えてくれた。
 この村と初めて出会った印象は、どこか日本人と似た顔立ちのおしゃれなアンデスの民ケチュアの人々が「自然と共に力強く歩んでいる」という素朴ですてきな生活をしている。というものだ。
 いよいよこれからコチバケリーヤ村の人々との話し合いが始まる。村での宿泊やトイレ事情などここでは書き尽くせないほどの体験をした。それはまたの機会に譲ろうと思う。