2008年4月17日から5月6日までの約3週間、学び舎づくりの会からの派遣員としてボリビアに行ってきた。目的は「聖マルティンの家」支援のための現地調査と、8年前に建てた学び舎1棟目の修理のための下見だ。今年は学び舎づくりの会の活動が始まって10年という節目の年でもあり、私はこの会に入ってまだ1年半だが、この間に会を通じて得難い経験をさせてもらっているだけでなく、ひとクセもふたクセもある会の面々との出会いは私の世界を大いに広げてくれた。
さて、この多くの出会いの中でも強烈だったのが野原昭子さん。ご存知のとおり、はちゃめちゃなパワーをもってボリビアで障碍者支援施設を運営している日本人女性。とても小柄でボリビア人並に日焼けした顔をくしゃくしゃさせていつも笑っているか、そうでないときはサムライのように凛々しく、なんとも潔く、それでいて目には愛情が満ち溢れている、そんな人である。今回の滞在中にはたくさんお話を聞かせてもらったが、九州ののびのびとした環境で生まれ育ち、シスターとしてペルーへ渡った頃の話から想像するに、その当時から今と全く変わらない芯の強さとユーモアを持ち合わせていたようである。
話は学び舎のことに戻るが、ここ1年、外から来た者として会の活動に参加させてもらって思ったことは、誤解を恐れずに言えば、「みんな、楽しいからやっているんだ」 ということ。地球の裏側で土をこねて夢のある建物を作るために本業もそっちのけになるくらい必死にできるなんて、それは楽しくなけりゃやってられないはず。もちろん一方的な押し付けではなく、少しでも自分のしていることが誰かの役に立ってくれれば・・という思いはみな共通していると思う。ただそこで自分がしんどくなるほどでは、続かない。だから 「楽しい」 というのはとても大事だ。私だって正直なところボリビアに行きたい!という単純な思いと、日々の仕事に追われる世界とは無関係なところへ行って、自分の中のバランスをとりたいという身勝手な思いもあってボリビア派遣を買って出たのだから。
私は昭子さんに個人的な思いとしてそれを最初に伝えたかったので、そう言うと彼女は 「それでいいのよ」 と笑って答えてくれた。彼女の生きてきた世界を、ほんの2週間足らず共に過ごさせてもらっただけでは到底知ることはできないが、そんな肩の力の抜けた彼女の姿勢は、あらゆる経験を通して自然と身についた余裕からくるのだと思う。プライベートな話を書いてしまうが、昭子さんがペルーで独立をした頃、紅茶のティーパック1パックを3回使うくらい極貧の毎日ではあったが、本当に自由で、あんなに楽しかったころはない、と話していた。そんな心から自由を愛する昭子さんだからこそ 「楽しいから」の意味をわかってくれたのではないかと思う。
さてボリビア。正直いって今回の派遣で、どれほど収穫を得られるか不安もあった。しかし、やっぱり行ってよかった。いくら情報網が発達した現代でも、実際に見て聞いて触って感じることによって得られる情報は、比べものにならない。あの空の青さ、あたりまえのようにある茶褐色の山脈、なんでもない日常の音や匂い、人々の表情、それら全てが私の感覚に新鮮だった。
特に聖マルティンの家で寝食を共にさせてもらった経験は大きい。昭子さんの朝は6時からのミサのために5時に始まる。一度だけ連れて行ってもらったが、大きな修道院のチャペルで、お祈りをしたり歌を歌ったり神父さんの言葉に耳を傾けたり、ひとけのない田舎なので、それは静かな朝だった。その後、夜布団に入るまで、昭子さんの一日はすさまじく忙しい。一箇所にいるということはまずない。去年10月のテレビ番組で昭子さんを知ってボランティアに来た若者や、在ボリビア日本人でリタイヤしてからボランティアを続けている人もいるが、大半を寄付金でやりくりしている以上、運営に余裕はなく、常に家・店・畑という3拠点を運営していくための事務・手続き・雑用などに追われ、最近は肝心な子どもたちと過ごす時間がなかなかとれないことが悲しいと昭子さんはこぼしていた。飛び回っている最中にも、家で昼食時に脳性麻痺で手足の不自由な子を抱きかかえ、ご飯を食べさせているときの昭子さんはスタッフと冗談を言い合いながら本当に活き活きとしていた。
ボリビア派遣に先立ち、去年から学び舎では「聖マルティンの家」とその地域への技術支援を日本側の責任団体としてJICAの草の根支援プログラムに申請するための準備をしてきた。そしてより適切な支援をするためにも、現状を把握することが不可欠であり、今回のボリビア派遣の主目的はその具体的なニーズを聞いてくることにあった。 そのため昭子さんは忙しい合間でも時間があくとすぐに 「今、時間あるから何でも聞いて」 といって、きっと今まで何度となく繰り返し話してきて疲れているはずなのに丁寧に一人ひとりの症状を話してくれたり、こちらの聞きたいことに対して真剣に答えてくれた。そんな昭子さんの一言一言をもらさず皆さんに伝えなければとの思いで、夜な夜なレポートとしてまとめなおし、またJICAのラパス事務所に相談に行ったり、現地の関係者から聞きとりしたことなど、全て合わせたらかなりの情報量となった。それらをもとに帰国以来学び舎のメンバーと申請書の内容を詰め、現在プロジェクトは具体化に向かって前進している。投資したうちの100%のリターンを望むのは難しいと思うが、そのうちの半分だって間違いなく役にたつはずだから、学び舎づくりの会ができることとしてささやかではあるけれど意義があると私は思う。
今聖マルティンの家では、より安定した持続可能な運営を目指して動きつつあり、そのための法人化、NGO登録、公的支援への申請など課題が山積みだ。 しかし一人また一人と彼女を応援する人が増え、不可能が可能になる日も近いと信じている。だれもが心配しているのは、昭子さんが無理をしすぎて倒れてしまうこと。少しは休んでくださいと言うと昭子さんは「私が休むときは死ぬときよ」 とさらっと言う。やっぱりサムライだ、昭子さん。
TVにも登場したフーリオ君、奥にいるのはエドウィン君!
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聖マルティンの家ではいつも笑いが絶えない。TBSの番組でもよくでていたフーリオくんは曲げることのできない片足を伸ばしたまま車椅子を走らせ、いつも話しかけてくる。でも彼らの抱える現実はつらい。生まれつきの障碍で親に見捨てられた子、仲間に裏切られた子、不慮の事故で一生身体が不自由になった子。あんなに元気だけど、きっと一人ぼっちのときや一歩家の外、すなわち社会に出たときには、どれだけ辛い思いをしていることか。それなのに目が合うといつも笑顔をかえし
てくれる。この子たちのために、どんなに非力だろうと自分にできることはやろうと心に誓った。
ボリビアに向かう飛行機の中で考えていたことがある。これは一種のタイムトリップだと。先進国といわれる日本や欧米諸国から、途上国といわれる南米・東南アジアを訪れる旅行者や、国際協力団体が絶えないのは、他にも理由があるけど、自分たちの住む世界では既に失われたものがあるからではないかと思う。そこでは物や情報は多くなくても、もっとかけがえのないものがある。限りあるものをシェアすることの喜びは、ひとり占めすることの喜びよりも大きい。質素だけど幸せそうな人々の生活に触れて、複雑化した現代社会に生きる自分たちの姿を見直し、大事なものが何かを考えさせられる。文化こそ違うけれど、だからこそみえてくる普遍的な価値があると思う。 「地場の素材を使って、自らの力で自分たちの学ぶ場所をつくる手助けをする」―学び舎の活動の根幹である部分と無関係ではないと思う。人と人のつながりが薄れ、恐ろしい事件が増えてきている今の日本であらためて思う。そして今回のボリビアでも期待通りタイムトリップをし、自分の中のバランスを再確認することができた。自分勝手ではた迷惑かもしれないがこれからも 「楽しいこと」 を続けたいと思う。そしてこのかけがえのない学びのチャンスと「遊び場」を与えてくれた学び舎づ
くりの会と野原昭子さんにあらためて、ありがとう。
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