2004年11月15日月曜日

ソフト部会から  1棟目から4棟目をふりかえって    事務局長 倉田知幸

 学びたいけれども学ぶ場所がない。そういう人たちのために、ボリビアの地でこれまで4棟の学び舎をつくってきた。雨露をしのげる建物、安くて頑丈で安全な建物、できるだけ環境負荷の低い建物。そういう学び舎をつくってきた。
 私たちがつくってきた学び舎は、識字教育や保健衛生教育、織物教室など、その土地の人々によってさまざまな用途に使われている。必要とされるところで、必要な人たちのために学び舎をつくってきた、という会としての自負もある。
 しかし、これまでの活動を振り返ってみると、「学び舎づくり」の過程に多くの反省も残してきた。

  「学びたいけれども学ぶ場所のない人たち」 がボリビアに数多く存在することは、間違いない。けれども、私たちは彼等のそうした声に最初から耳を傾けてきただろうか。あちらの声を聞く前に、「(学び舎を)つくりたいけれどもつくる場所がない」 と、こちらの声を届けることを優先してきてしまったのではないだろうか。
 学び舎の建設にあたっては、住民参加と称して、住民に日干しブロック作成の作業に参加してもらった。それはなぜかと言うと、住民自身のための学び舎なのだから、「使う」 人たちが 「つくる」 ことにかかわることは当然だ、という考えがあったからである。けれども、こうした住民参加がときに労働の押し付けになり、自主参加が強制参加となってしまうようなこともあったかもしれない。
  「学びたいけれども学ぶ場所がない」人たちが地球の反対側にいるという事実と、それに対する私たちの思いが、この学び舎づくりの会の活動を支えている。その思いが強すぎるため、こちらの思いが彼等の声をかき消してしまったことはないだろうか。また、思いの強さが、「善意」という意匠をまとった「おせっかい」に転じてしまったことはないだろうか?今後は、そういう懼れをつねに意識して、住民との対話のプロセスを大切にしていきたい。
 また、「学び舎」 は住民だけのものではなく、私たちのものでもある、という認識を新たにしたい。
 「学び舎」 という共通の宝をめぐって、住民と積極的に対話をすすめていくことが、会には必要だ。お互いの声を響き合わせるとき、それが協和音ではなく不協和音になることもあるかもしれないが、一つひとつじっくりと腰を据えて解決を試みていくことで、一方的な「援助」ではない、双方的な「協力」関係、ともに歩み、対話する関係を現地の住民達と構築していきたい。