2005年5月15日日曜日

第1回スタディーツアー企画担当者からひとこと

 指紋と顔写真をとられる米国に足を踏み入れない、マイアミなんぞに一泊しない、など少々個人的主張も入り込み、そして出来る限り長く滞在でき、可能な限り安く飛ぶルートを捜して、旅行社を困らせながら日夜便利なインターネットをたたいて、やっと最終的にメキシコシテイー経由フライトを決定した。

 ボリビアのキャリア、ロイドボリビアーノが都合よくメキシコシティーから飛んでるのに、自分の裏庭と親分風をふかして、南米人にはこころよく思われていないアメリカの飛行機に乗って南米を訪れるのだって失礼ではないか。そんな思いも…。しかしその結果、簡単便利、それに恐らく多少安心を、参加者のみなさんに捨ててもらい、逆に、不便で、余り当てにならない時間、そしてチョット不安を覚悟してもらわなければならなかった。

   ボリビアを知る旅は、メキシコシティーからパナマ経由サンタクルス行きの、ボリビア航空に乗り込むことが第一歩となった。十分に時間を割いて準備をする余裕がない旅の上に、この時期、この日数しかないと全く調整が効かなく、往復にそれぞれ30時間近くもかかってしまうのだから、簡単ではない。この旅の第一目的のコチャバンバ、高地にある学び舎の見学の他に、意図していたようには多くの内容を組みこむことは難しく、参加者の希望を入れることはほとんどできなかった。
   さらに高山病の恐れがある4000メートルのアルテプラーノに建つ学び舎第四号に向かうために、短期間の高度順応プランも組まなければならない。宿や足の確保から、多くの情報まで、日本からはとても手の及ばない細々とした手配を、これまでの学び舎の活動から繋がりの生まれたボリビア在住の数々の友人が、引き受けてくださった。この力強い援軍がなければ、今回の旅は実現できなかった。ラパスの落合さん、コチャバンバの出合さん、野原さん、サンティアーゴさん、サンタクルスの北山さん、上野さん、山城さん、沖縄村の山城さんのお父様、ほんとうにありがとうございました。そして大変な歓迎をしてくれたリャイタニ村にはお礼のことばもない。この旅の計画を通して、学び舎づくりの会が、今やボリビアと強い繋がりを築いてきたなと、改めて感慨を持って気づかされた。          
(杉原)