2006年12月23日土曜日

倉橋神父との出会い

 「学び舎づくりの会」が生まれてはや8年になる。その間、いくたびか危機的状況に見舞われ、もう駄目かと思ったこともある。アンデス高地にまで足を運び学び舎づくりに取り組もうなどという恐れ多いことは、理性をまともに働かせて判断すれば通常はやるまい。しかし、よくもわるくも為せばなるスピリットの当会の性分は人様に迷惑をかけながら突き進んでしまう。
 初めての危機は7年前のこと。
ボリビア第3の都市であるコチャバンバ郊外の4ヵ村から村人を集めて土壁づくりのためのワークショップを行った。第1棟目の建設をどの村と行うかを決めるための試みであった。ところが、左官職人や建築家、ランドスケープアーキテクトの出発直前に、頼みにしていた現地の通訳者の都合がつかないと通告されたのだ。
 途方に暮れていた当会を救って下さったのが、在ボリビアの日本人宣教師、倉橋輝信神父である。当会の会員の通う教会のつながりで、在ボリビアの神父を紹介して頂き、神父のお知り合いの通訳者が急きょ派遣されることになった。この時の通訳であるアルフレッド上野さんには、当会の会員がサンタクルスに寄るたびに、ご家族ぐるみで歓迎してくれ、大変お世話になっている。
 実は、私の方は倉橋神父のことを曽野綾子著『神さま、それをお望みですか:或る民間援助組織の25年間』(文春文庫)を通して一方的に存じ上げていた。同著には「市長と並ぶくらい有名人」として登場する南米の「名物神父」として描かれている。
 世界中で奉仕活動に献身する邦人クリスチャンを支える「日本カトリック海外宣教者を支援する会」というネットワークがある。今月初旬、同会の方々が来日中の倉橋神父を囲む集いを催した。この集いに参加する機会に恵まれた私は倉橋神父に初めてお目にかかり、漸く直にお礼を述べることが叶った。そればかりか、「有名人」一般とは異なる、気さくで陽気で自由闊達なお人柄に魅せられたひと時を楽しませてもらった。神父は、同席者一人ひとりに鮮やかな色のポーチを贈られ、そのポーチが不条理な人生を神に加護されながら行きぬいた50代の先住民男性による手作りであることなど、ボリビアの民の苦悩と希望について説かれていた。
 倉橋神父の感動的な話が冷めやらぬ晩、8年ぶりに『神さま、それをお望みですか』のページをめくってみたら、次のような著者の言葉と再会した。「誰が見知らぬ人の命を結ぶのか、私はわからない。しかしこのようにして、地球上ではいつも誰かが誰かを救うことになっていた・・・」。倉橋神父はじめ、私たちの8年分の出会いも、もともと「なっていた」のだろうか。しかし、さまざまな出会いをもたらした運命があるとしても、そこには足掻きがあり、窮状を切り抜けようとする意志が介在していたこともまた事実である。
 ご支援をお願いする野原さん施設も「日本カトリック海外宣教者を支援する会」、そして倉橋神父と手を携えて支援していこうと誓った。もうすぐクリスマス。特別な意味をもつこの時季に、私たちが出会ったボリビアの方々、特に今でもしんどい状況に置かれている野原さん施設の方々の心の安寧を願わずはいられない。その一助となるため、いましばらく俗世間で足掻いてみようと思う。