2006年1月15日日曜日

「聖マルティンの家」 を語る       野原昭子                

 “道でためらわず 目標をみうしなわず 常に努力し 常に歩み 常に前進して行きなさい” この言葉が誰の言葉かは知りませんがこれは私が16歳の時にかかげた私のモットーでした。では目標とは何かそれは“雑巾になること”。この思いが今の自分のしていることにつながっています。40歳になって修道院を出てまで障がい者と共に生きる道を選んだのは、いや40歳になって選んだのではなく、すでに7歳の時に私の中にその選んだ道があったことを40歳の時にはじめて意識したのです。



 やっと意識して歩きはじめて8年になりますが、その間自分の思いあがり、あるいはまちがいを彼等から多く教えられ雑巾であることに抵抗する自分ももちろんあります。でもモットーのように過去をふり返って悩むのではなく、前をむいて過去の経験を少しでも生かして行こうと一人でバカのような生き方をしています。
 一言で障がいをもつ方々と生きるといっても、何をしているのかわからないでしょう。彼らと共に住むようになってもう7年(1998年11月より)、現在入所者25名、通所者15名(常に人数は変わります)と大家族になりました。時と共に私の方針も変えなければならなかったのも事実です。
 1.はじめ私は自立を目的とする大人のための短期入所施設(この言葉はきらいですので「家」をつかいたかったのですが)。時と共に子供の入所者が増え、その上孤児で障がいのある子どもたちが入ってくるようになりました。
 2.三分の一はそのような子どもたちですから前のケースに加えた別のケースの家が必要になりました。また、私はカトリック教徒でボリビアの98%はカトリックですので宗教をぬきにした生活は私には考えられませんし、それを彼らと共に生きるのをはばかりません。そしてそれがなければ私のしていることは無に等しい思いあがりの行為になると思うのです。(このことを日本の皆さんに話してどれだけ理解してもらえるかとか、いやに思われるのではとかいうこといっさいをどうでもいいこととして、よこに置きましょう。)
 3.そういう訳で、キリストと共に生きる場も必要になりました。もちろん今までもそれはつとめてきたことですが。。
 4.もうひとつ大きな問題は金銭問題です。私は日本人で日本という大きなあたたかいバックにあまえて資金集めをし、援助してもらって生きることからぬけ出さなければなりません。
 これら4つの大きな課題をかかえて新しい土地を購入しなければならなくなりましたがこれは皆の夢でもあり、それが実現するために不思議な方法でそれが私たちの手に入ったのです 感謝!!
共に生きるうちに感じることは、彼らはあまりにも自分の境遇を自然に受け入れているがため(生まれながらに障がいをもつため)に自分が何者でもない、何者であってもならないという変ななっとくをしているのです。ところが一人ひとりの個性、才能、特別な能力をを誰でも与えられて持っているのです。それを誰もその人から引き出そうとせず、長い年月無能な者のように扱われすごして来た人が多いのです。愛されていることを感じることが出来、自分に与えられた能力を発見できたなら、彼らの生きる意味はどんなに変わるでしょうか?! そういう場を創りたいのです。自分というものを意識するためにある人はABCを学びはじめることではじめられるかもしれません。ある人は動物を飼育することで、あるいは畑で作物を収穫することで、絵を描くことで、あみものをすることで、小物つくりで、大工仕事で、etc.。その何が適しているか長い時間が必要な人もいるでしょう。あるいは突然それに目覚めるかもしれません。ただそれを提供する場がほしいのです。
 それをこの何かわけのわからないような文を読んでいる皆様方に協力していただきたいと思い、この家の建築の一部でも援助して戴ければとお願いしている訳です。

 なぜぞうきんにならなければならないか雑巾の使命は何かまだまだ目標にほど遠い生き方をしていますが、共に生きる彼らに使ってもらう幸せを毎日感じてとまではいかず、私を何だと思っているの!!といかりをむき出しする自分に反省しながら頑張っております。
よろしくお願いします。   (のはら・しょうこ)