教育・福祉・医療制度がたちおくれているボリビアにおいて、障がい児・者への支援や自立に向けた諸制度の整備も例外ではありません。社会的弱者である障害をもつ人々は、都市にあっても、また郊外や高地の村々にすむ人々も劣悪な環境で生きざるを得ない現状があります。まだ日本でも見うけられますが、障がいをもっているということで、家の中に閉じ込められたきり村の片隅で生涯をすごす人もいると言われています。事故などで障害をおったため、離婚された人、障害をもっているため親に見捨てられた子ども等、さまざまな人々が野原さんの施設の門をたたきます。
コチャバンバでこのような人々を支援してきた野原さんに、人のあり様を考え続けている私たちの会が出会ったのも、必然のめぐりあわせのように思われます。
およそ20年前に南米にわたった野原さんは、ボリビアの現状と出会い、7年前に「聖マルティンの家」をつくり、障がいをもつ人々を支援する活動を開始しました。今では、通所のリハビリ施設(コチャバンバ市内や近郊の村から人々が通ってきます)、また遠く、高い山の上に点在する村々の人々など、日々通って来ることが困難な人のために入所施設を運営しています。いずれも社会復帰、社会参加を目的とした自立支援です。野原さんの家で安住することが目的ではなく、あくまでも、一人ひとりが生きる意義を見出し、社会で自立して生きていけるようになることが目的なのです。
当会もさまざまな感銘をうけたこの「聖マルティンの家」が存続の危機にたたされたのが、2005年5月のこと、いままで借りていた家を金銭的問題やさまざまな行き違い等により立ち退かなくてはいけなくなってしまいました。一度はこの施設を閉じようとまで考えていたところ、野原さん曰く、不思議なめぐりあわせにより、コチャバンバの17km郊外、アンデスの山々のふもとに新たに土地を得、新しく「聖マルティンの家」を建築することになりました。そこで野原さんはその建築資金調達のために2005年11月に来日したのです。
もともと、資金源としては、入所者、通所者になんらかの形で利用料をはらってもらうことになっているとはいっても、貧しい人々からの利用料は限界があり、作業所でつくる雑貨販売もしれたものです。これらだけでは施設の運営はとてもまかなえません。国の援助もほとんどなく、これまではつながりのあるカトリック修道会等からの援助等でなんとかやりくりしていたそうです。そこで、私たちの会でも何か出来ることがあればとの思いで野原さんとミーティングをもちました。野原さんは、小さな身体にエネルギーをつめこんだとてもチャーミングな女性でした。ボリビアの紫外線をあび日焼けした褐色の肌、しゃべればしゃべるほど、早口の中にボリビアの匂いが漂い、まどうことのない凛とした強さが感じられる方でした。
こういった活動を一人で行なうよりは、支え支えられるネットワークの中で活動をしていかなければ限界がくる!との当会の者の発言に毅然と応えます。「私もそれは重々痛感しています。しかし、今施設でくらす青年たちが、この施設で働きたい、一緒に聖マルティンの家を支えていきたい、と言ってくれています。これからはそういう青年もスタッフとして運営し、聖マルティンの家自体も自立していきたいと考えています」と。これまで運営の面では野原さん一人が孤軍奮闘してきた聖マルティンの家でしたが、これからは、自発的に集った仲間とともに、新たな「聖マルティンの家」を造っていく再出発の言葉です。
学び舎づくりの会が求めている、自発的に皆が集って形成される「場」が、ここにあります。何かひきつけられるように人が集まり、自らがその何かを創り出して行けるような「場」へと歩み出し始めた聖マルティンの家を、わたしたちも支援していきたいと考えています。
野原さんは雨季の終わる今春から井戸を掘り、水を確保し、皆が寝泊りする居住棟の建築に着手するそうです。しかし、障がいをもつメンバーがさまざまなことを身につけ、生きていくための智恵を見出していく「学びの棟」建設の資金には、とても足りません。
学び舎づくりの会は、この野原さんの施設の学びの棟をひとつの学び舎のかたちとしてとらえ、出来る限りの支援をしていきたいと考えています。皆さん、「聖マルティンの家」学び舎棟建設にむけてもご支援をいただければ幸いです。
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