2001年10月2日に、コチャバンバに到着。2棟目の現場を訪れると、作業は職人だけで行われていたのです。日干し煉瓦づくりも、職人が行っているではないですか!? それ以降の作業、基礎や日干し煉瓦積み等も職人だけで行われていました。住民参加はどこへいってしまったのでしょう。住民の考え・汗水が建物に染み込むことで、住民が学び舎に愛着を持ち、長期間、建物を使っていくのではないでしょうか。そこから、自治会との、やりとりが始まりました。
時は、11月でした。しかし、「日干し煉瓦づくりが終わるまで、住民を毎日3人集めて欲しい!」といくら、声を掛けても、自治会は「住民に声をかけた。しかし、住民は手伝う気など全くない」、の一点張りで、2001年が終了するまで、住民はわずか数日、作業を行っただけでした。さて、年が開け1月、このままでは、現場がいつ終わるかわからないという状況であったので、職人を2人から5人に増やし、現場作業は始まりました。現場の方は順調に進む中、 3月に3棟目の候補地探しにタブラチャカという田舎村を訪れると、住民参加で、外塀を作っていました。ボリビアで住民参加が行われている作業風景を始めて見て、感激していると、その塀の背後の美しい雪渓の中を黒い横線「電線」が走っていたのです。しかし、村には電灯が灯っていませんでした。不思議に思い、住民に聞いてみると、「確かに電線は来ているが、電気代を払えない」というではないですか。「住民の1日の給料も調べずに、一体、どこの国が、こんな、大きな粗大ゴミを作ったのですか?」と聞くと、なんと、「日本」という声が返ってきました。これを聞いたときには、唖然としました。また、それと同時に、学び舎のことが、頭に浮かんできました。このまま、本当に職人だけで、建物を完成させていいのか?「この電線のように使われないものになってしまうのではないか?」と不安に襲われました。5月末から、住民に声を掛け始めました。そこで、なんと信じられない真実につき合わされました。なんと、住民の大部分が、学び舎が住民参加型工事であると知らなかったのです。それ以降は、6月・7月の週末金曜日の夜に、住民集会を開くと、土曜・日曜とわずか10人程度ですが、住民参加型の工事が行われ、遂に、8月に学び舎の2棟目は完成しました。自治会、住民、親方とは、本当に色々とありましたが、これから、学び舎をどう使っていくか、それが、本当に楽しみであります。寄付金をいただいた方、日本の会の皆さんのお力なしには、完成することはありませんでした。本当にありがとうございました。
大学を卒業して、半年後、日本を飛び立ってからの10カ月の滞在は、本当にあっという間でした。今回の滞在の中で、どこまでも透き通る青空の下で、笑顔に満ち溢れた人達に出会ったのと同時に、その一方で学校にいけない子供たちや文字を書けない人達にも出会いました。また、4畳半という狭さの中に、子ども2人・奥さんと住み、スペイン語を勉強しようと励んでいる人にも出会いました。そんな彼ら・彼女らのために、学び舎を今後もつくっていけたらと思っています。しかし、常に学び舎の建設には、彼ら・彼女らの参加がなければいけないと思います。日本の公共建築物を見ても、住民の声や汗が染みこんでいないため、使われていないものがたくさんあります。ボリビアも同じです。頭脳をつかった住民参加、または、実際に肉体をつかった現場作業による住民参加のどちらでもいいのですが、積極的に学び舎の建設に参加して、学び舎の愛着を持ってほしいと思います。愛着を持つことで、自分の家のように長期間つかわれていくのではないでしょうか?あくまで、理想でありますが、こんな「学び舎づくり」をしていけたらと思っています。
(高橋)