2003年9月15日月曜日

ケチュアの人々のある一日    

 都市の人々がさまざまな民族から構成されている一方で、コチ・バケリーヤ村に住んでいる人々は、インディオと呼ばれる民族の中でもケチュア語を話す人々。その村に住むある家族のある一日の生活の様子を今回は紹介したい。

 父親39歳、母親36歳、長女18歳、長男16歳、次男13歳、三男9歳、次女4歳、三女2歳この家族の一日のすごし方を聞き、実際に少し生活をのぞかせてもらった。(注:時計を持っているのは父親だけなので正確な時間を把握できているわけではない。)

 朝4時~5時母親が起床。朝食の用意にとりかかる。日本の朝食の準備は30分~1時間くらいかもしれないが、こちらは1時間半~2時間ぐらいかかる。コンロがあるわけではなく、土がま(2つのなべを同時に使用可)に枝をくべて調理をする。しかも標高が3900M近く沸点が低い。以上のような理由から主食であるジャガイモをゆでるにも時間がかかる。正確には測っていないが30分~1時間ぐらいジャガイモをぐつぐつゆでている。年長の子どもはジャガイモを剥く、家の外にある水道に水を汲みに行く、兄弟の世話をするなど、母親を手伝っている。まだ陽が昇る前なので暗闇の中、たよりになるのは赤い炎だけ。
 父親は1時間後ぐらいにベッドから出る。ロバ、牛などに草、大麦などを与えることが朝一番の仕事だ。
 朝食は6時~7時頃に30分くらい。小麦をすりつぶした粉をマテ(草のお茶、砂糖入り)とともに食べていた。塩茹でしたジャガイモとチューニョ(ジャガイモを乾燥させたもの)も食べる。
朝食が終わると母親は昼食の準備にかかる。放牧や農作業で家から離れたところに行く場合は昼食を持参する。お昼はジャガイモとチューニョ。これまたぐつぐつぐつぐつゆでる。10時頃から放牧もしくは農作業に出かける。放牧は一年中、農作業は農閑期以外。この二つを家族で分担する。放牧は女性や子どもが受け持つことが多いようだ。
 放牧の移動中、自分の家畜の羊やリャマの毛をつむぎながら、もしくは男性の場合はチャランゴを弾きながら30頭ぐらいの羊、5頭ぐらいの山羊をつれて歩く。リャマを4頭ほど飼っている家、牛を飼っている家などもある。
 家畜が留まって草を食んでいる際には、女性たちは背に担いできた織物の道具を地に設置し、アワヨと呼ばれるストールのようなものを織る。
部分的に複雑な模様を織り込むので、1時間に2cmほど進むぐらいだろうか?頭のなかで模様を描き、先のとがった枝、何かの動物の角など、数本の棒を使い彼等の模様を1目ずつ創り出していく。
あかちゃんのめんどうをみる保父さん
さて、子ども達はというと、まず小学校に上がる前の5歳ぐらいまでの子どもは、日中「PAN」と呼ばれる保育所に預けられる。この「PAN」はボリビア発のNGOが運営している。同じ村の男性が保父さんで、日本の幼稚園・保育園のように授業のようなものがあるというよりも、子ども達を見守り、かつ国及び海外からの援助で朝食、昼食などに栄養の取れるものを食べさせている感じだ。その食事(揚げパンやアピと呼ばれるとうもろこしの粉のスープ、ミルクなど)は村の女性が作る。
 この「PAN」の校舎は住民が日干しレンガで作ったものだが、狭くてかつ土間のため衛生面が悪いとのことで、現在は、私達と一緒に作った「学び舎」で日中のある時間帯子ども達は遊んでいる。
6歳から15歳までは子どもの足で歩いて1時間~1時間半山を降りたところにあるコニャコニャという集落の学校に通う。朝9時から夕方まで。月に一週間は先生が給料をもらいに町に戻るため学校はない。その際には放牧・農業などを手伝う。
 子ども達には制服がある。赤いセーターに赤いスカートもしくはズボン。この制服及び教科書は親が購入しなければならず、このお金が出せないために、学校に通い続けられない家もある。
15歳以上の子どもは歩いていける距離に学校がないため、受け入れ先を見つけて、町のほうへ住まなければいけない。実際には通えないのが現状のようだ。
土日は子どもも放牧を手伝うため、親達は交互に休むことができる。水曜の夜と日曜の日中は識字教室(スペイン語)が行なわれているので、そこに参加する母親、父親もいる。
さて、夕方5時ころ、放牧、農作業から家路につく。途中燃料の枝を拾いながら。何かを収穫した際には、ロバに荷を担がせて帰ってくる。
 夕食ももちろん調理に時間がかかる。ここでもじゃがいもとチューニョのスープや、ジャガイモとチューニョのゆでたものに、家畜の羊の肉がひとかけらつくこともある。家畜を絞める頻度は確認していないが、肉を食べる日の方が少なさそうだ。時々食事に招待されると、どこからか干し肉を持ってきて食べさせてくれる。やはりジャガイモ、チューニョとセットで。
夕食が終わるのは7時から8時だろうか。そして就寝。男性は電池をセットしてラジオを聞きながらベットで横になってから寝たりもする。夜の室内の照明は主にガソリンランプ。
毎週何曜日かにある夜のミサに出かける人々は、女性や子どもが多いが、その際には夜の9時ぐらいまでミサに参加する。また識字教室が夜にある場合は、夜11時近くまで授業があることもある。
 どのように寝ているのかは残念ながら見させてもらうことはできずにいるが、台所と同じ部屋にベッドがたいていあり、そこが暖かいとのことで、シングルベッドに夫婦+子どもも2~3人一緒に寝ているようだ。ちなみにパジャマはなくいつもの服のまま寝ているらしい。
以上が、ある家族のある一日の様子である。スペイン語が第一言語ではない彼等とまだまだ自由にスペイン語が話せず、彼等の言語であるケチュア語に関しては挨拶しかできない私のヒアリングなので、間違っている部分も多々あるだろう。ご容赦いただき、その辺を差し引いて読んでいただければ幸いである。
 ちなみに農閑期には父親や息子が町に出稼ぎにいき、女性が中庭で一日中アワヨを編むなどまた違う生活サイクルがあるし、雨期もそうだろう。
最後に、夜中に寒さのためかトイレに起きる。身震いをしながら外に出ると、月明かりで土の家々がぼうっと浮かび上がり、音は何もない。空を見上げると天の川が広がり、星が流れる。ふと日本を思う。地球の反対側の日本では今、照り付ける太陽の下、霞ヶ関でサラリーマンが車の喧騒の中早足で歩いているのだろう。(落合裕梨)