2006年12月23日土曜日

倉橋神父との出会い

 「学び舎づくりの会」が生まれてはや8年になる。その間、いくたびか危機的状況に見舞われ、もう駄目かと思ったこともある。アンデス高地にまで足を運び学び舎づくりに取り組もうなどという恐れ多いことは、理性をまともに働かせて判断すれば通常はやるまい。しかし、よくもわるくも為せばなるスピリットの当会の性分は人様に迷惑をかけながら突き進んでしまう。
 初めての危機は7年前のこと。

2006年12月17日日曜日

コラム・ボリビアに移住したウチナーンチュのミニ歴史   

 学び舎づくりの会には2人のウチナーンチュの会員がいます。その1人であるV.山城さんはボリビア移民2世。定例会後の総論(飲み会)で時々ボリビアでの生活の様子を聞いていました。でもやはりお父さんの話にいろいろな意味で思いがつのります。今回はレッスン1。ウチナーンチュのボリビア移住事始め、荒い素描をしてみました。

野原さんについて近況報告

●10月26日午後6時、一時帰国していた野原昭子さんと広尾にあるJICA地球ひろばで会いました。聞けば、これまで日本で聖マルティンの家建設のために拠出してくれた方々に、計画の遅れを説明し、理解してもらうために急遽帰国したとの事でした。

都市周辺の「場つくり」 -現地NGO:IPDAとの連携  事務局長 伊藤有樹

 「場づくり」ではスペースとしての場だけではなくそこから何かが生まれるものとしての「場」も大切であり、そのためには人々の活動も重要な要素となってきます。人々が集い、話し、考え、学ぶ行為、これらによって本来の「場」というものが生まれ、そしてその「場」は新たに生活の支えとなり、希望や糧となっていくものと思われます。

2006年11月20日月曜日

横浜国際フェスティバル2006

●今年もパシフィコ横浜展示ホールで、11月18、19日の両日横浜国際フェスティバルが催されました。学び舎づくりの会も4回目の参加で、気分はもう常連です。今回は、ブラジル移民100周年(なんと移民船は横浜港から出航したそうで・・・・)の記念事業と合わせて行われ、“フェスタ・アレグリア・ブラジル”という日系ブラジル人企業家たちの団体と“だがしや楽校”、実行委員会との併催でスペースはこれまでの2倍、参加人数も6万人余、かなり気合が入ったフェスティバルでした。会はこれまでどおり一般と食販の二つのブースでPR活動を展開。一般ブースではボリビアのフェアトレード手工芸品を、食販では「まるでパン屋じゃん」(代表曰く)の如くボリビア岩塩をふんだんに使った数種類のパンとトゥクマナ、ボリビアコーヒーが大活躍。来年もやります!         (M)

2006年6月19日月曜日

第2回ボリビアを学ぶ旅 報告会 2006年6月19日     

 第2回ボリビアを学ぶ旅報告会が6月19日に、横浜JICAのお力でお借りできた広尾のJICA地球ひろばで、開催されました。

2006年4月17日月曜日

第2回スタディーツアー報告④ 学び舎1棟目・2棟目見学                                         

 学び舎1棟目(ラ・フローレスタ地区)は、テキパヤ村の中心より徒歩30分程度の場所に位置し、茂る草むらの中、タクシーで道なき道を走り、学び舎1棟目を訪問した。

第2回スタディーツアー報告③ コラム・ボリビア観光  ~ティティカカ湖・ティワナク遺跡~

 ティティカカ湖は、ボリビアの首都ラパスからバンで西に2時間近くのところにある。
 道中、エル・アルトから続く平原はまるで地平線のようで、そこが富士山よりも高い場所だということを忘れてしまいそうになる。その日は快晴で、空の青と雲の白、平原の緑、茶色のコントラストが美しい。まばらに建つこじんまりとした土づくりの民家や家畜。ひもにつながれることも囲われることもない牛やロバたちは、なんだかゆったりと見えた。  
 しばらくすると、水なんか縁遠そうな風景に、突如きらきらとした水面があらわれる。ティティカカ湖である。

第2回スタディーツアー報告② CEOLI(障がい者自立支援施設)&コチャバンバ県障がい者担当事務所をたずねて

 CEOLIはオランダやドイツなどのNGOの安定した援助を受け、運営されている施設である。収容人数も210名と多く、野原施設とは比較にならない大きさである。
施設の設備もよく整えられている。希望者は申し込み順で受け付けているが順番待ちがあるという。年齢や能力に応じて7~8人の小グループに分け、それぞれに1~2名の指導者がついて学習していた。グループでの学習が成立する比較的軽度の児童・生徒も多いように感じた。

第2回スタディーツアー報告① 「聖マルティンの家」を訪ねて

  コチャバンバから車で30分程度の郊外にある、今年の1月に引越ししたばかりというその場所は、緑が豊かで付近にはアドベ作りの家が建ち並び、家々では牛や羊が飼われ、にわとりやアヒルが道を横切り、川の水で洗濯している女性にも出会うようなのどかな風景の広がるところだった。門をくぐると代表の野原昭子さんと2歳のエリサちゃんがニコニコ笑顔で出迎えてくれた。

コラム・フォルクローレ                             

<アチャカチ>
 ラ・パスからエルアルトを過ぎて、アルティプラーノをチチカカ湖に向かう。何だか高原とは思えない、不思議でとても魅力的な平原。人々はジャガイモを掘っているのだろうか、一家総出だ。
 なぜかすごく気分の良くなった私は、車の最後部席から、運転手さんと通訳さんのいる一番前の席まで出て行って、キョロキョロ。

2006年4月10日月曜日

第2回スタディーツアー 「学び舎」づくりにおけるソフト支援強化に向けた市民交流プログラム

2006年3月17日~3月29日 

 第2回目になるスタディーツアーでは、横浜国際センター(JICA横浜)からの支援のもと、4人の市民と3人の当会のメンバーが参加しました。ツアーの目的は下記のとおりです。

2006年1月15日日曜日

事務局だより ―現地NGOとの連携を視野に

 明けましておめでとうございます。2006年、どのような年になりましょうか。学び舎づくりの会にとってはボリビアでの活動を再始動する年になると思います。本年もどうかよろしくお願いいたします。

ボリビアだより 大統領選!   高橋慎一郎

 ボリビア共和国の中心部に位置するコチャバンバから、現地の最新情報をお伝えします。
日本から見て地球の反対側に位置するボリビア共和国は、初夏を迎え、Chopと呼ばれる生ビールが美味しい季節を迎えようとしています。しかし、今年は、例年になく、雨量が多いです。とくに、コチャバンバ市内から数時間バスで走ったところに位置する常夏のチャパレ地区の川は氾濫し、橋が流されてしまいました。そのため、一時期、コチャバンバとボリビア第2の都市サンタクルスを結ぶ国道が遮断され、多くの人々に多大な影響を及ぼしました。
 そんな、初夏のさなか、こちらボリビアはまもなく、大統領選挙を12月18日に迎えようとしています。

建築での「空間」と「場」について    薩田英男   

 学び舎は「場」をつくる会なのかそれとも建築の「空間」をつくる会なのか。よく会のなかでソフト、ハード、ハコモノなどの議論とともに立場や専門の違いから口角あわをとばすテーマである。会の目的には「場」=集まり・活動・空間など多くの意味を含むということで事なきを得ている。

応援します「聖マルティンの家」 SAN MARTIN DE PORRES

 会のスタディツアーでも訪ねた、野原昭子さんが運営する障がい者自立支援施設「聖マルティンの家」を学び舎づくりの会も“支援”したいと考えています。

 教育・福祉・医療制度がたちおくれているボリビアにおいて、障がい児・者への支援や自立に向けた諸制度の整備も例外ではありません。社会的弱者である障害をもつ人々は、都市にあっても、また郊外や高地の村々にすむ人々も劣悪な環境で生きざるを得ない現状があります。まだ日本でも見うけられますが、障がいをもっているということで、家の中に閉じ込められたきり村の片隅で生涯をすごす人もいると言われています。事故などで障害をおったため、離婚された人、障害をもっているため親に見捨てられた子ども等、さまざまな人々が野原さんの施設の門をたたきます。
 コチャバンバでこのような人々を支援してきた野原さんに、人のあり様を考え続けている私たちの会が出会ったのも、必然のめぐりあわせのように思われます。

「聖マルティンの家」 を語る       野原昭子                

 “道でためらわず 目標をみうしなわず 常に努力し 常に歩み 常に前進して行きなさい” この言葉が誰の言葉かは知りませんがこれは私が16歳の時にかかげた私のモットーでした。では目標とは何かそれは“雑巾になること”。この思いが今の自分のしていることにつながっています。40歳になって修道院を出てまで障がい者と共に生きる道を選んだのは、いや40歳になって選んだのではなく、すでに7歳の時に私の中にその選んだ道があったことを40歳の時にはじめて意識したのです。

「場づくり」へ――ハードとソフトの垣根を越えて  代表 永田佳之

 ボリビアでは街中でも標高4千メートルの高地でも教会を見かける。たまに立ち寄り中に入って感じるのは、天井へと引かれるような垂直の力である。教会の尖塔がとんがっているせいか、十字架が天上を指しているせいか、磔刑のキリスト像が目線より上にあるせいか、垂直の力が強く働いている空間である。
 こうした空間とはまったく異質だが、同じくキャンドルがあり、歌声が響き、笑顔の絶えない清らかな場に、ボリビアで巡り会ったことがある。そこは、垂直の力は感じないが、身体を包んでくれるような水平のつながりを感じさせる不思議な空間であった。
 5年ほど前になるだろうか、コチャバンバ市校外のフィールドで教育調査をしていたときのことである。